ワークライフバランスとは「仕事と生活の調和を図ること」です。
学者・コンサルタント・識者による定義や説明が様々ありますが、自分が一番しっくりくるものを参考にしましょう。大切なことは“てにをは”や表現上の違いではなく、その言葉が示す本質です。
参考までに、学術文献では以下のように紹介されています。
Work-life balance means that individuals have 'successfully' segmented or integraged 'life' and work so as to achieve a satisfying quality of life, overall satisfaction and less strain or stress around juggling conflicting role demands.
("Work-Life Integration" Betsy Blundsdon ら、Palgrave macmillan, 2006 p.2 より引用)
仕事と私生活を上手くバランスさせたいという欲求はいつの時代であってもありますが、ここ数年特に注目されているのにはいくつかの理由があります。
【理由】
上記理由をふまえた代表的な施策としては、
などがあります。 (2007年現在)
「次世代育児支援法」に代表されるように、現在ワークライフバランスは少子高齢化や子育て支援に関連した問題として扱われやすい傾向があります。
また、子育て支援や柔軟な働き方の追及が企業の業績向上に良い影響を与えるという報道もなされています。それ自体は素晴らしいことです。
しかしこの取り上げられ方は、ワークライフバランスを実利的に捉えた理解の仕方とその理解に基づいた対応策に過ぎません。もちろん、実利的な捉え方や対策が重要であることは言うまでもありません。
しかし、“ライフ”を女性や子育てに限定するのではなく、もっと幅広く捉え、ワークライフバランスという言葉通り、「仕事と生きることの調和をどう図るか」という視点でこの問題を捉えるべき、あるいはそのような視点があっても良いのではないでしょうか。
では、どうして深く考える必要があるのでしょうか?それは現在の取り上げ方が「一面的」「偏っている」からです。
労働経済学など学問の延長線上でワークライフバランスを論じる場合は止むを得ませんが、多くの人は当事者として、現実問題として、実体経済の中でこの問題を議論しているはずです。もっと言えば、儲けるという“経営の論理”が背景にあり忙しさが増しているのにもかかわらず、経営の論理と切り離されたまま、経営の論理に対する言及が殆ど見られないまま、ワークライフバランスの実利的な対策だけが議論をにぎわせているからです。
「ワークライフバランスも大切だが、事業の拡大や利益の追求も大事だ」というのが経営の本音です。
分かりやすさのために敢えて単純化して言うと、企業経営の観点から見れば現在のワークライフバランス施策の多くは「福利厚生の充実/拡大の一環」に過ぎません。
バブル崩壊後の人事制度改革で家族手当等の福利厚生的な報酬項目が統廃合されたように、経営環境が変化すればそれに合わせてスリム化させるのが資本の論理です。
ワークライフバランスの実現には経営者の理解と協力が不可欠です。経営者は資本の論理で考え、行動します。儲けるという経営の視点に肉薄しないまま自分の立場だけを声高に主張しても、経営者には響きません。
よって、これからのワークライフバランス推進活動は、経営のロジックや利潤追求のメカニズムに対して興味を持ち、学び、理解し、経営者へ積極的に提案し、その実現を経営者と共に考えていく姿勢と行動が非常に重要になります。
さらにこの問題を深く捉えることにより、私たちはもっと深刻な問題を直視せざるを得ないことに気付かされます。
私たちの私生活をこれほどまでに乱している「忙しさ」はどこから来ているのでしょうか?改めて問うまでもないくらい「そういうものだ」と何となく思っている人も多いかもしれませんが、「何となく」ではなく、きちんと自分に問いかけてみて下さい。
「日常生活における私たちの消費行動」がその大きな一因です。「仕事が忙しい」と誰もが言いますが、実は、この消費社会とその社会を謳歌している我々自身が「仕事」を忙しくしているのです。
つまり、我々の生活の仕方やそれを受けた企業の反応、それらが反映された現在の消費社会の在り方が、まわりまわって自分の仕事を忙しくさせているのです。
この事実にどれだけの人が気付いているでしょうか。
日常的に起こっている消費社会の実態の一部を一般論をベースに単純化し、再現してみます。
ケース1. 「家電製品」
高価な家電製品を購入するとき、多くの人はどのように行動するでしょうか。まず足を運ぶのは、昔から地元にあるパパ・ママストア的な販売店ではなく、量販店でしょう。
インターネットで集めた比較情報をもって値切り交渉を行うことも珍しくありません。そんな店舗ではどのようなことが起こるでしょうか?
ケース2. 「運送業者」
商品の流通には物流機能が欠かせません。しかも、商品を確実に、かつタイムリーに消費者へ提供するため、流通業者は物流業者へ「低い物流コスト」や「臨機応変な配送」を依頼します。
また、個人が荷物を送る場合には「便利な集荷、少しでも安い送料」を、そして荷物を受け取る個人は「平日は帰宅が遅くなるので受け取りは夜に」、「休日しかいないので、受け取りを休日に指定したい」、「再配達を依頼したが、予定が狂い指定した時間に間に合わなかったのでもう一度」というように、自らの利便性をどんどん追及していきます。
その結果、何が起こるでしょうか?
加えて、このような現場を知っている経営者も「顧客のニーズに応えてこそ一流」という世論に異議を唱えにくく、さらに「会社は株主のものだから、株主の期待に応えて当然」という声を前にして、「高配当」「株主優待」を優先せざるを得ないのです。
たとえ経営者が苦悩したとしても、よほどのことが無い限り「従業員のワークライフバランスが歪むから人件費を増やしたい」などとは言いにくいのが現実です。
利便性を求めた「私の悪気の無いエゴ」が隣の人の私生活を乱すきっかけをつくり、隣の人の「小さなエゴ」が私の私生活を乱すきっかけを作っている。これがあちこちで起こり、多くの人の仕事と生活のバランスを崩しているのです。
このように考えていくと、ワークライフバランス問題は、必ずしも「子育て支援」や「働き方の柔軟性を増やす」ことで済ませられる課題ではないことに気付かされます。
例えば、ワークライフバランス施策に伴う有形無形のコストを投資と捉え、在宅勤務や休暇制度を充実させ自社従業員のワークライフバランスを向上させたとしても、そのしわ寄せは非正規従業員や外注先に向けられます。
もちろん製品の価格を上げたり一時的な(株主への)配当金減額などによりコスト上昇分を転化させることは可能ですが、消費者や株主からの否定的反応への恐れが障害となり、やりにくいのが現実です。
この状態を放置すればする程、「身内に良くした分」を「身内以外の関係者」にツケをまわす“不の連鎖”がエスカレートしていきます。
結局、顧客も株主も自分達の便益や利便性の追求に追われ、そのツケに対しては傍観しているまま状況が進んでいくのです。
「自分のワークライフバランスは守りたい。でも他人のそれは他人の問題だ」で済ませてしまって良いのでしょうか?
これは(学問的研究対象として分析言及した場合の意味ではなく)実体経済・社会で起こっている現実としてのワーキングプアや格差社会にもつながっていく根の深い問題であり、消費社会が抱える深刻な現代病です。
もちろん、資本主義である以上「他を負かして自分が勝つ」という競争はあってしかるべきです。しかし自社・自分という“閉じた世界”だけで経済性を追求するのは短期的な視点では合理性に適いますが、長期的に見れば必ずしも合理的ではありません。
刹那的な自然な欲求を認めつつ、それには弊害が伴うということと、自分の過度な利便性の追求がその弊害に加担しているかもしれないという意識を持ち、それぞれが「自分自身の日常を省みる」ことも必要です。
繰り返しますが、競争が前提である資本主義経済と、その経済発展の便益を享受している現実は否定出来ません。利潤追求のメカニズムを解明する学問やそれを実体経済と結びつけて論じる場で市場の論理を語る場合はそれでいいのです。
しかし、経済性を前面に出し「敗者となるのは自己責任」という価値観や論理で全てを片付けることにも無理があります。この無理を放置し、唯物的な見方や行動ばかりが拡大すると、もっと歪みが大きくなるという弊害にも目を向ける必要があります。
"Winner takes all" という言葉が示す「勝者が全てを取る」という価値観があるのも事実です。その価値観が経済や文明を発達させる原動力として働いたのも事実です。
しかし、歪みは歪みです。
歪みをもたらしたの原因の一部が我々ならばそれを修正する要因の一部になれるのも我々です。
日常の些細なことを軽視せず、そこからものごとの本質を見抜き、その本質にしたがって考え、行動する人が一人でも増えることが、真のワークライブバランス実現の大きな力になるのです。